西光寺 歴史 



 西光寺は街の中心に位置し周りが開けた場所にあるお寺でありますが、 もともとは青ノ山麓にあり鍋谷下の道場西光寺と呼ばれていました。 鍋谷下の道場西光寺は今から約八百年前、浄土宗の御開祖 法然上人が讃岐に御流罪になったことに始まります。
法然上人が開きはじめられた念仏浄土宗は、どの様な者でも救われていく道を説き示し、民衆の心にもよく浸透するので、 老若男女、身分の隔てなく多く人々が上人の許に集まっていました。しかしその栄えゆくさまをねたむ余宗の者も多く、 ついに承元元年(一二〇七)二月、上人七十五歳の折ある事件をきっかけにした承元の法難が起こり、讃岐の地にご流罪となりました。 同年十二月の勅命により許されるまでの間、讃岐の各地を巡り念仏の浄土宗を説き弘めると共に、讃岐文化の開発にも精進されており、 各地に今なお多くの足跡が残されています。
上人が十二月八日附けの勅命にて許され都へ御帰りになる道すがら、 讃岐の地に居られた間いつもお供していた弟子然慶の生地、讃岐国鵜足郡鍋谷の里に暫し憩われて、ここに草庵を建立し、 阿弥陀如来尊像を安置せられました。上人此の草庵を諦観山西光寺と号すべし、と仰せられ帰洛のおり尊像と共にこの 草庵を然慶に賜うたのです。
これが西光寺の創りで、時は承元二年(一二〇八)年も迫る師走でありました。
その後、天文八年(一五三九)本願寺第十代證如上人のみ弟子 進藤向専師によって、浄土宗は真宗に改められ、 大阪石山合戦では第十一代顕如上人をたすけて多くの兵糧を本願寺に送っております。 当山には当時の出来事を進藤向専師が綴った石山法運記が今も残されてあり、 それを少し読んだだけでも、遠い昔の出来事が、時を越えて身近に感じることができます。